天然お香の販売はこちらから
読み物

珈琲の歴史とは?起源から日本の朝の一杯まで

文机で古い書物を読みながら珈琲を味わう香司の爺さんと、コーン型のお香から立ちのぼる煙のイラスト
904moto

珈琲の歴史は、一匹のヤギが踊り出したことから始まったといわれています。舞台は9世紀ごろのエチオピア高原。結論からお伝えすると、珈琲はアフリカで発見された飲み物です。そこから中東・ヨーロッパを経て、500年以上かけて世界中に広がりました。Me-Kouの天然お香はオンラインショップ、またはLINEからお気軽にお問い合わせいただけます。

この記事でわかること – 珈琲の起源とされるエチオピアの伝説 – 珈琲がなぜ何度も禁止されてきたのか – 日本に珈琲が伝わった時期と広まり方 – 珈琲の歴史を知ることが「味わい」にどうつながるか – 珈琲とお香、香りと人類の意外な共通点

珈琲の起源とは?エチオピアの一匹のヤギから始まった物語

珈琲の起源は、エチオピアのヤギ飼いカルディの伝説に由来するとされています。ヤギ飼いの少年カルディは、ある日ヤギたちが赤い実を食べて興奮したように飛び跳ねているのを見つけました。不思議に思ったカルディは、近くの修道院に相談します。僧侶と一緒にその実を口にしてみると、気分が高揚し、眠気を忘れたといいます。

以来、修道僧たちは夜の祈りに集中するために、この実を利用するようになりました。珈琲の語源は、原産地とされるエチオピアの地名「カッファ」に由来するという説が有力です。この地で採れた実はアラビア半島南端のモカに運ばれ、アラビア語で「カフワ」と呼ばれるようになりました。

Wikipediaのコーヒーの歴史でも触れられているとおり、正確な起源は、いまも解明されていません。それでも6世紀から9世紀ごろにはアラビア半島へ伝わりました。10世紀にはイスラム寺院で、修行僧の眠気覚ましとして使われていたと考えられています。私自身、珈琲を「効率よく目を覚ますための飲み物」だと単純に捉えていました。しかし起源をたどると、祈りに集中するための道具だったという事実に驚かされました。

なぜ「悪魔の飲み物」と呼ばれたのか?珈琲が繰り返し禁止された理由

珈琲は、広まるたびに繰り返し禁止されてきました。1511年、エジプト統治下のメッカで世界初のコーヒー禁止令が地方長官によって発令されています。コーヒーハウスに集まる人々の議論が、政治的な不満の温床になる。当時の権力者は、それを恐れたためでした。

もっとも、この禁止令はメッカの支配者自身が大の珈琲好きだったことから撤回されます。発令した地方長官のほうが処刑され、あっけない幕切れでした。16世紀以降もイスラム世界では迫害が繰り返され、その正当性を説く書物までもが著されています。

ヨーロッパに伝わってからも、事情は同じでした。珈琲は当初、イスラム教の飲み物として遠ざけられかけました。それをキリスト教世界に受け入れさせたのが、ローマ教皇クレメンス8世です。「これほど美味しいものを異教徒だけのものにしておくのはもったいない」。そう述べ、珈琲に洗礼を施したという逸話が残っています。

18世紀のプロイセンでは、ビール産業の保護を理由にフリードリヒ大王が珈琲禁止令を出しました。スウェーデンでは、国王が死刑囚2人に珈琲と紅茶をそれぞれ飲ませました。健康への影響を確かめる、奇妙な実験まで行われたのです。結果は、両者とも長生きし、実験を命じた国王のほうが先に亡くなったという皮肉な結末でした。フランスでは、太陽王ルイ14世がトルコ大使のもたらした珈琲に魅了されました。以来、珈琲はヴェルサイユの宮廷文化に取り入れられています。禁止と解禁を繰り返しながら、珈琲は少しずつ市民権を広げていったのです。ロンドンのコーヒーハウスは、入場料わずか1ペニーで新聞を読み、情報交換ができる場所でした。「ペニー・ユニバーシティ」という愛称で呼ばれ、庶民の知的好奇心を支える存在になっていきます。

コーヒーはどうやって世界中で栽培されるようになったのか

珈琲がヨーロッパに伝わった当初、豆の流通元だったモカは独占状態を守ろうとしました。栽培用の苗や種子が国外に持ち出されることを、固く禁じていたのです。それでも人々は監視の目をかいくぐります。あるインドのイスラム教徒が珈琲チェリーを密輸し、インドでひそかに栽培を始めました。

オランダ東インド会社もこの市場に目をつけ、モカから持ち出した苗を植民地のジャワ島へ運びます。1706年、ジャワ島で育った木の一本がオランダ本国アムステルダムへ渡りました。現在世界で栽培されている珈琲の木の多くは、この一本の系譜をたどるとされています。

その後の広がり方には、ロマンティックな逸話も残っています。1727年、南米に珈琲を持ち込んだ人物にまつわる話も残っています。フランス総督の夫人がブラジルの士官に想いを寄せ、栽培用の豆を密かに贈ったという逸話です。史実かどうかは定かではありません。それでも後にブラジルは、世界最大の珈琲生産国へと成長しました。赤道を挟んだ南北緯25度の帯状の地域は「コーヒーベルト」と呼ばれています。現在も、主要な生産国のほとんどがこの範囲に含まれます。この点はコーヒーの歴史を解説する動画でも紹介されています。

珈琲は自由の象徴だった?アメリカを”珈琲の国”に変えた事件

アメリカに珈琲を伝えたのは、17世紀にバージニア植民地を建設したジョン・スミス船長だとされています。当初は紅茶を飲む文化が主流でした。この状況を一変させたのが、1773年のボストン茶会事件です。

イギリス本国は植民地に紅茶条例を課し、輸入紅茶を独占したうえで税を上乗せしました。この仕打ちに、アメリカの人々は激しく反発します。船に積まれていた紅茶を海に投げ捨てた、この事件がきっかけです。紅茶を飲むことは、イギリスへの服従とみなされるようになりました。珈琲を飲むことは、独立への意志を示す行為だったのです。

以後、紅茶人気は下火になり、珈琲好きの国へと変わっていきました。19世紀末にはアメリカが世界中の珈琲の半分近くを消費するまでになったといいます。一つの事件が、国の飲用文化を丸ごと塗り替えたことになります。南北戦争では兵士の間で珈琲を飲む習慣が広がりました。工業化が進んだ19世紀後半には、労働者の間にも定着していきます。珈琲は嗜好品でありながら、経済や戦争を支える存在でもあったのです。

日本に珈琲が伝わったのはいつ?出島から明治の街角まで

日本に珈琲が伝わったのは、江戸時代初頭の長崎出島だったと考えられています。1641年、オランダ商館が出島に移されました。以降、商館員の暮らしの中に珈琲が持ち込まれたとみられます。ただし鎖国政策のもとで外国人に接触できたのは、通訳や役人などごく一部の日本人に限られていました。

実際に珈琲を飲んで感想を書き残した最古の記録は、江戸時代後期の文人・太田南畝によるものです。この逸話は日本の珈琲史をたどる解説動画でも紹介されています。長崎奉行所に赴任した際、珈琲を口にしました。彼は「焦げ臭くして味に耐えず」という率直な感想を残しています。当時の日本人にとって、珈琲は決して美味しいものではなかったようです。

本格的な普及は、明治時代に入ってからでした。1888年、東京・下谷に日本初の喫茶店「可否茶館」が開業します。文学者や芸術家の社交場を目指した意欲的な店でしたが、時期尚早だったのか数年で閉店しました。その後、森鴎外が指導した文芸グループ「パンの会」が日本橋のカフェに集います。文学と珈琲を語り合う文化サロンが、少しずつ根づいていきました。

ちなみに「珈琲」という漢字を考案したのは、江戸時代の蘭学者・宇田川榕菴だと伝えられています。珈琲の実の形を、女性が髪に挿す「かんざし」になぞらえたのだそうです。「珈」も「琲」も、かんざしの飾りを意味する漢字だと知ると、見慣れた二文字が少し違って見えてきます。

大衆化を決定づけたのは、1911年開業の「カフェー・パウリスタ」です。ブラジル移民とのつながりから珈琲豆の無償提供を受け、他店の3分の1ほどの価格で提供しました。この安さが爆発的な人気を呼び、大正時代には全国に20店舗以上を数えるまでになります。戦時中には輸入が禁止される「珈琲暗黒時代」を経て、1950年に輸入が再開されました。今日の珈琲文化は、その延長線上にあります。缶コーヒーやアイスコーヒーは、実は日本発祥の飲み方です。この点も、あまり知られていない事実かもしれません。

【提案】珈琲の歴史を知ることは、味わいに深みを与える

今、目の前にある一杯の珈琲は、いわば「完成形」です。しかしそこに至るまでには、幾度もの禁止令や迫害がありました。名もなき生産者たちの労苦、そして偶然に近い出会いも積み重なっています。歴史を知ることは、味わいに深みを与えることと同じだと、私は考えています。

なんとなく口にしていた一杯にも、いくつもの物語が重なっています。カルディが見つけたヤギの興奮。メッカの権力者を恐れさせた議論の熱。太田南畝の渋い顔。パウリスタに列をなした人々の姿。そうした背景を知ったうえで珈琲を口にすると、いつもの一杯が少し違って感じられる。そんな朝があってもよいのではないでしょうか。

珈琲とお香、香りに”儀式”を見出してきた人類の共通点

珈琲の原産地であるエチオピアには、「カリオモン」と呼ばれる伝統的な珈琲儀式が今も残っています。豆を洗い、炭火で炒り、その場で挽いて抽出するまでの一連の流れを、客の前で丁寧に行う習慣です。主に女性が執り行い、その手順を身につけることは花嫁修業の一つとされてきました。

この儀式が象徴するものは何でしょうか。人類は珈琲という飲み物に、嗜好品以上の「香りを介した儀式」を見出してきたのです。それはお香の歴史とも重なる部分があります。お香もまた、香りを焚くという所作そのものに、心を整える意味を持たせてきた文化です。珈琲の香りが呼び覚ますのは、眠気だけではありません。その場に集う人の心を静める働きでもあったのだと、私は感じています。

Me-Kouのお香が目指しているのも、まさにこの「香りによる儀式」です。朝という限られた時間に、香りを通じて心を整えるという習慣。珈琲の歴史をたどると、遠い異国の儀式に気づきます。それは実は、自分の朝の習慣とそう遠くない場所にあるのです。お香そのものの起源や歴史については、お香とは?歴史と選び方をまとめた完全ガイドでも詳しく触れています。

朝の一杯に、珈琲の歴史とお香の香りを添えるという習慣

珈琲を飲みながらお香を焚くと、香りが二重に重なります。朝の時間そのものが、少し丁寧なものに変わるのです。珈琲の香りは覚醒を、お香の香りは静けさを連れてくるという組み合わせです。嗅覚は脳の中でも感情や記憶に関わる大脳辺縁系に直接届く感覚だといわれています。視覚や聴覚よりも短い時間で、気分に働きかけると考えられているのです。

やり方は難しくありません。珈琲を淹れる数分の間に、香皿にコーン型のお香を一つ置いて火をつけるだけです。豆を挽く香りと、立ちのぼる煙の香りが同時に漂う数分間。忙しい朝の中でも、自分のためだけの静かな時間になります。珈琲とお香の組み合わせ方は、珈琲に合うお香の選び方ガイドでさらに詳しく紹介しています。お香そのものが初めての方は、お香とは何か、他の香りとの違いを解説した入門記事から読んでみてください。

珈琲儀式(エチオピア) Me-Kouの朝習慣
豆を炒り、挽き、抽出するまでを丁寧に行う 珈琲を淹れながらお香を一つ焚く
家族や客人と場を共有する 一人の朝の時間を自分のために使う
花嫁修業として受け継がれる所作 毎朝繰り返すことで習慣として根づく

よくある質問

Q. 珈琲の起源はどこの国ですか?

A. エチオピアが有力とされています。ヤギ飼いカルディが、赤い実を食べたヤギの興奮ぶりに気づいたという伝説が広く知られています。珈琲の語源も、原産地エチオピアの地名「カッファ」に由来するという説が有力です。

Q. 珈琲はなぜ何度も禁止されたのですか?

A. コーヒーハウスに人が集まり、政治的な議論の場になることを権力者が警戒したためです。1511年のメッカでの禁止令をはじめ、プロイセンやスウェーデンでも国王による禁止令が出されました。しかしいずれも、長くは続きませんでした。

Q. コーヒーの木はどうやって世界中に広まったのですか?

A. モカが厳しく管理していた苗や種子が、密輸というかたちで各地へ持ち出されたことが始まりです。ジャワ島やブラジルなど、コーヒーベルトと呼ばれる帯状の地域へと栽培が広がりました。

Q. 日本に珈琲が伝わったのはいつですか?

A. 江戸時代初頭、長崎出島にオランダ商館が置かれた1641年以降と考えられています。ただし一般に広まったのは明治時代に入ってからです。1888年には日本初の喫茶店「可否茶館」が開業しました。

Q. 日本人が初めて珈琲を飲んだ記録は残っていますか?

A. 江戸時代後期の文人・太田南畝が、長崎奉行所で口にした際の感想が最古の記録とされています。「焦げ臭くして味に耐えず」と記しており、当初の日本人には馴染みにくい味だったようです。

Q. 珈琲の歴史を知ることにどんな意味がありますか?

A. 目の前の一杯が完成するまでには、試行錯誤や偶然がありました。それを知ることで、同じ珈琲でも味わいの感じ方が変わってきます。背景を知ったうえで飲む一杯は、ただ飲むよりも記憶に残りやすいものです。

Q. 珈琲とお香には関係がありますか?

A. 直接の歴史的なつながりはありません。しかしどちらも、香りを通じて心を整える「儀式」を人類が育んできたという共通点があります。エチオピアの珈琲儀式カリオモンは、その象徴的な例です。

Q. エチオピアの珈琲儀式「カリオモン」とはどんな習慣ですか?

A. 豆を洗い、炭火で炒り、その場で挽いて抽出するまでを、客の前で丁寧に行う伝統的な儀式です。主に女性が執り行い、家族や友人との交流の場として今も受け継がれています。手順を身につけることは、花嫁修業の一つとされてきました。

Q. 缶コーヒーは日本発祥というのは本当ですか?

A. 本当です。1969年、UCC上島珈琲の創業者が世界初の缶コーヒーを開発しました。瓶入り珈琲牛乳を返却する手間を省くための工夫だったといいます。アイスコーヒーも、日本で独自に広まった飲み方です。

ABOUT ME
MO
MO
お香クリエイター
お香に魅せられ、オリジナル配合のお香を作成・販売しています。お香の魅力は、素晴らしい「香り」だけでなく、「浄化」や「リラックス」をもたらす力です。 屋号の「Me-Kou」は、お香が「自分の香り」になる「Me(私)のKou(香)」であり、それは「銘香(めいこう)」でもあるという想いを込めました。このブログでは、お香のある暮らしの魅力をお届けします。
記事URLをコピーしました